オリジナル小説 アマガセ 番外編
「ある家庭の日常(オヤジ殿夫妻の場合)」
夕暮れ時、街へ続く道を親子が歩いていた。数歩先を行く父親の後を、少年がその小さい足で一生懸命ついて行く。両腕には自分の身の丈ほどもある剣を抱えている。少年の服は泥だらけで、また少年自身も傷だらけであった。少年は今まで父親に剣の稽古をつけてもらっていたのである。
二人は街に着くと、商店の並ぶ市場を通り抜け、大通りから細い路地へ入っていった。そこは閑静な住宅街だった。しばらく行くと、質素だが小奇麗な二階建ての家が見えてきた。彼らはその家の戸をくぐり、よく手入れされた庭を横切って家の中に入っていく。
広間では長椅子に腰掛けて針仕事をしている妻が、夫と息子の帰りを今かと待ち侘びていた。そこへ二人が帰ってきたので、妻は針仕事を放り出し、二人を出迎えた。
「ずっと待っていましたのよ。夕食の用意もすっかりできあがってしまっているのに、何をしてらしたの?」
「いや、別に……」
夫は言葉少なに返事をする。妻は夫の後ろに立っている息子を見つけ、エメラルドグリーンの瞳を丸くする。
「まあ、ユゲ、あなた傷だらけじゃない!? どうしたの?」
妻は夫そっちのけで息子の傍に駆け寄ると、召使の女中を呼んだ。夫は、その間に服を着替えにそそくさと二階へ上がっていってしまった。
ユゲの世話を一通りした妻は、女中に後を任せ、二階に上がっていった。着替えを終えた夫は、部屋に入ってきた妻に何気なく言った。
「飯にしよう。腹が減ってしょうがない」
「飯ではありません。また剣の稽古をしてらしたのね? まったく。ユゲに剣を教えるのが悪いとは言いませんけど、教えるならもっと手加減して下さらないと……。ユゲが大怪我でもしたら、どうなさるおつもり?」
「お前は大袈裟なんだよ。男の子ならかすり傷の一つや二つ当たり前……」
「一つや二つどころか、全身傷だらけじゃないですか!!」
妻は、夫の言葉を遮ると、ひどい剣幕で夫に詰め寄り、くどくど文句を言う。夫はうんざりした顔で、黙ってそれを聞いていた。
「とにかく私は軍人なんて反対です。ユゲは学者になるのが一番なのよ」
「お前の言い分はわかったよ。軍人になるか学者になるかは、ユゲが自分で決めるだろう。それより、お前は過保護過ぎやしないかい? もうちょっとだな……」
「何ですって?」
夫は、最後まで言わず口ごもる。妻はそんな夫を睨んだ。そして、また延々と小言を並べたのだった。
結局、夫が夕食にありつけたのは、夕食のスープがすっかり冷めてしまってからであった。
Fin.